スタッフブログ フクブクロ


2012年09月19日

江戸時代から灯をともし続けてきた新田義貞の塚

福井市民には「新田塚」と言われている新田義貞公の塚を、ご紹介いたします。

えー?新田義貞って鎌倉幕府と敵対した武将で、それがなんで江戸時代から祀ってあるの?と思われた方、鋭い。
この新田塚は江戸時代初期水田で、お百姓さんが兜を発掘しちゃった場所なのです。それを当時の福井藩の軍事学者が調べ「これは新田義貞公の遺品である」と。(この写真の場所あたりで討ち取られたらしいです。)それで君主の松平公が、この写真の形にしたわけです。

その兜自体は、福井市郷土歴史博物館の常設展に時々展示されています。
その兜の形が、結構ユニーク。(新田義貞公て、頭の形が随分変わっていたのねえ、、、というのが福刀自の正直な感想なり。)

このあたりは今でも新田塚1丁目とか2丁目とかの地名なのです。
そしてこうやって今も毎日、灯をともされ続けているのです。福井のモンは律儀(りちぎ)なのです、、、。

 


2012年09月09日

越前の剣豪のお話いいですか?

この写真は、当ホテルの部屋で夜、本を読んでいるというシーンです。正面に見えるのはアオッサというビルです。

剣豪の肖像画でいきたかったのですが、そちらはあまりに人相が、、、、目つきがこわくてパス。(笑)

ご紹介するのは佐々木小次郎とも縁が深い、朝倉家の家臣、富田勢源(とみたせいげん)です。中条流の達人で、越前宇坂の庄、浄教寺出身。(今でも浄教寺という地区があります!)

一乗谷朝倉氏遺跡地近くには富田勢源道場跡とされる場所もあります。今や草っ原のどこにでもある田舎の風景になっていますが。

のちに眼病で目が見えなくなってもとても強かったとの事。以前福刀自は剣道の指導者の方に「目が見えなくて強いというにはありえるのですか?」とうかがった所「剣道は目でみるものではありません」とのお返事でした。(まだ疑っている福刀自。そうなの?)

ただ、たしかNHKのテレビで富田勢源の目が見えなくなってからの肖像画を見たことがあるのですが、すっごく怖かったのを覚えています。迫力ありすぎでしたよー。

以上とりとめもなく書いてみました。では、また。


2012年09月06日

福井の歴史から封印された、将軍家より葵紋の使用を許された越前刀工と刀鍛冶集団の歴史。

今回の写真とお話は、全て福井市の勝山剣光堂の刀剣鑑定士勝山智充さまからのものです。(を、福刀自なりに理解)

では。
江戸時代福井は、南西は京都、北は加賀の前田家という訳で、北陸道の軍事的政治的「関所」の役割をになう大事な場所だったのです。
そのため徳川家康の息子結城秀康は、福居城下にどんどん鍛冶職人や治水工事専門集団を各国から集めました。
そんな中でも、士農工商の身分制度の中においても、刀匠は、苗字・禄高・人扶養扶持を与えられるまでに。

天皇筋にちかい山城国の堀川門下で菊紋を許された刀工と、将軍家より葵の紋の使用を許された刀工がどちらもいるのは越前福井だけだったそうです。

が、江戸初期から末期まで分かっているだけでも600人いた越前刀鍛冶集団は表舞台にでる事は一切なく研究材料としての文献は皆無に等しく、かなりのセキュリティーで秘められていた事が推定されます。

今でも福井県外から名刀を求めてこられる方がおられる程ながら、何故か福井の人にはほとんど知られていないとの事。

 いやー、福刀自も全く知りませんでした!学校の郷土の歴史からも消されている歴史、のようです。そういう意味ではセキュリティーは違う意味で今も守られているのかも。(これが和紙や漆だったら違ったのでしょうが。)正確なこと詳しい事は美術刀剣を取り扱う勝山剣光堂さんのネットでお調べくださいませ。(福刀自は付け刃ですので。) では、また。

                     


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